いつか鳥のように1 ボロ布の上に座り、四角く切り取られた夜空を見上げる。 レンガの壁の上の方、小さい明り取りの窓はガラスすらなく、代わりに柵がはまっている。 その狭い視界で何とか月を捉えていた。 は月を見るのが好きだ。 「好き」ということもよく理解できていないが、この汚い牢屋でできることの中では、たぶん「好き」なのだろう。 気が付いたらこんな生活をしていた。 自分がどこから来たのか。 なぜこんな所にいるのか。 いつからいるのか。 何もはっきりと思い出せない。 わかるのは季節が何度も変わっていったこと。 そのくらいだ。 「、どうしたの?」 同じ牢屋の中で眠っていた「おねえちゃん」が目を覚ました。 「なんでもない。月を見ているだけ。」 「そう。もう寝なさい。」 おねえちゃんは寝たままそう言って、また目を閉じた。 このおねえちゃんがに色々な事を教えてくれた。 言葉、常識、外の世界のことを。 はおねえちゃんと呼んでいるが、本当の姉ではない。 という名前もこのおねえちゃんが付けた。 というのはおねえちゃんの弟の名前だった。容姿が似ているわけではないが、もう二度と会うことは叶わない弟のかわりにそう呼ばせてほしいと、おねえちゃんが言ったのだ。 名前のないにはそれでも充分だった。 このおねえちゃんも「好き」だ。 言葉の意味を教わっても、見た事がないものが多すぎてよくわからない。 「家族」も理解できるけど、よくわからない。だからおねえちゃんが本当の家族でも、そうでなくても、大きな差はないことはわかっている。 人殺し 空腹 暴力 天竜人 男たち 焼印 手錠 「きらい」なことはたくさんある。でも、 おねえちゃん 空 鳥 これは「すき」だった。 もう寝よう。 今日は何も悪い事が起きなかった。 牢屋番にもあまり殴られなかったし、ご飯もちゃんともらえた。 だれも殺してないし、おねえちゃんもずっと一緒だった。 明日も悪い事が起きませんように。 そう願っては眠った。 ガンガン! ガンガン! 牢屋の鉄格子を叩くけたたましい音で目を覚ました。 もおねえちゃんもぼろ布の布団を急いで跳ねのけ、飛び起きた。 奴隷の世話係の機嫌を損ねたら、何をされるかわからない。 二人はただうつむいて、警棒で鉄格子を叩く音と、足音が近づくのを震えながら聞いていた。 この地下にはいくつか同じような牢屋がある。 どうか、ここでは立ち止まらないで…! 祈るように膝の上の手をぎゅっと握りしめた。 コツ… コツ… コツ… コツ… コツ… ……… 「おい。」 祈りは届かなかった。 非情な冷たい声が頭上から振ってきた。 「は、はい。」 おねえちゃんが返事をした。 「女、お前じゃない。てめぇだよ。聞いてんのか!!」 「はいっ!」 はビクリとして顔をあげた。 今日は悪い日かもしれない。 こいつらはいつも気まぐれで、でたらめで、何をされるかわからない。 それがとても怖い。 「来い。持ち主が呼んでる。」 その男は鍵を開けると、の手錠を引っ張った。 は海楼石の付いた手錠を付けられていて、その上いつも空腹だった。ふらふらとおぼつかない足取りで、男に引っ張られていった。 牢の並ぶ狭い廊下を歩く。 向こうから別の男が来た。張り詰めた空気の地下で、そいつが歩く音がよく響く。すれ違ったその男は別の牢に行き、奴隷に話しかけたのが遠くで聞えた。 「お前、処分。」 冷たく言い放ったその言葉と、いやだぁああ、助けてくれという断末魔の声が耳にこびりついた。 あぁ、今日は一番悪い日だ…。 は男に連れられて、持ち主の所へ連れて行かれた。 さっきまでいた地下室とはうってかわって、何とも豪勢な造りの部屋である。ふかふかの絨毯、きらびやかなシャンデリアや数々の調度品、着ている物も、食べている物も、ずっと特別なものなのだろう。 大きな椅子に大きな体をねじ込んだその男がの所有者である天竜人である。 は所有者の名前を知らない。 教える必要がないから教わっていないのだ。 名前を呼ぶことも、顔を見ることもない。 飼い主。 この恐怖に支配された生活を強いている、諸悪の根源。 だが、心も体も支配された今、立ち向かっていく気力などどこにもない。だからすべてこの男の意のままなのである。 と男は部屋に入るなり、すぐさまひざまずいた。 はさらに床に額を押し付けるほど、低くならなくてはならない。 それがここでのルールなのだ。 「連れてまいりました。」 「うん。じゃあ、処分させといて。」 「はい。かしこまりました。」 はまた男と共に部屋を後にした。 二人はまた、別の部屋に向かって歩いて行く。 大きな屋敷のはずれにある、小さな小屋の前に来た。 扉の前では、先ほど喚いていた奴隷がひざまずいていた。 彼はがっくりと頭<こうべ>を垂れ、啜り泣き、肩を震わせていた。 「いいか。できるだけ細かくしてくれよ。でかいのを運ぶのは大変なんだ。」 の前を歩いていた男がそう言った。 処分を言い渡された奴隷が、弾かれた様に顔をあげた。 そして募るような目で、を見た。 その目を見ていられなくて、は目をそらした。 自分だって嫌だ。こんなことはしたくない。 「処分に失敗したら…、わかってるな?」 男がに念を押した。 失敗したら。殺せなかったら。 待っているのは自分の死ではない。 自分が死ぬだけなら、もうはこの世にいないだろう。 殺されるのは、おねえちゃんだ。 に抗う術はない。選択肢などない。 は自分の両腕を前に出し、手錠を外してくれと言った。 それは、すべての肯定を意味することでもあった。 男は海楼石の付いた手錠を外し、たち奴隷を小屋に押し込んだ。 そして二人の男たちは扉を塞ぐように立った。 海楼石が外され、体に力が入るのがわかる。 は悪魔の実の能力者だった。 狭い石壁の小屋の中で、二人は向き合った。 「なぁ、頼むよ!殺さないでくれ!」 力なく項垂れた彼は、の腰にしがみ付き懇願した。 「逃がしてくれよ!お前ならあいつらだって殺せるんだろう!」 の細い体を何度も揺さぶった。 「家族がいるんだ!きっと待ってるんだ!まだ、死ねないんだよ!」 は俯いたまま、黙って聞いていた。 「ごめんなさい。」 ぽつりとそうこぼした。 「ぜったい、痛くしないから。」 「そ、そんな!待て!待ってくれ!頼む!!」 の周りに風が起きはじめ、髪や服がふわふわと揺れ始める。 異変に気付いた男は、後ずさり、壁や扉を叩いて、助けて!助けて!と叫んだ。 風は次第に強くなり、そよ風のようにやさしかった風は今や嵐のような激しさである。 ごうごうと目も開けていられない程の風が小さな小屋の中でぐるぐると回っている。 そして一瞬、ピタリと風が止んだ。 「…へ?」 男が間抜けた声を出した。 次の瞬間、男は足元から崩れ落ちた。 文字通り、崩れ落ちたのだ。 大きな刀で切られたかのように、スッパリと身体のあちこちが切断されていた。 ゴロゴロと嫌な音を立てて崩れる。 ゴロンと転がった頭が、こちらを見ている気がした。 びしゃりと部屋中に血が飛び散った。 は血を浴びながら、またつぶやいた。 「ごめんなさい……。」 血に染まった頬を一筋の涙が伝った。 「終わったなら、出ろ。」 外で待っていた男が声をかけるまで、はそこで佇んでいた。 人だった肉塊はもう一人の男が片づけるのだろう。 はまた手錠をかけられ、ふらつく足取りで風呂に連れて行かれた。今まで着ていた汚く血に汚れた服は破り捨てられ、手錠をかけられたまま風呂に放り込まれる。 こびりついた血を、何度も何度も拭った。 血が落ちてもなお、洗い続けた。 「てめぇ、いつまでやってんだよ。」 腕を引っ張られ、無理矢理出される。 片腕だけ手錠を外され、投げて渡された服に袖を通した。 はまた、持ち主の前に連れてこられた。 いつもそうだ。 奴隷だけでなく、この持ち主が気に入らない人はが殺した。 その後は必ずこうしての顔をちらっと観察するのだ。 「頭を上げさせえ。」 床に擦りつけていた頭を、男がの髪を掴んで無理矢理あげさせた。 「っ……」 痛みに顔がゆがむ。 顔を上げられてもなお、は所有者の顔を見ないように目を反らしていた。こちらから顔を見ることは許されないのだ。 「ククク…、同族を殺した気分とはどんなものだろうえ。」 「何か言ったらどうかえ?」 「まあいい。良い顔付きになってきたえ。」 天竜人は勝手に話し、またすぐ二人をさがらせた。 と男はまた地下への道を歩いて行った。 しかし、は所有者の放った言葉に愕然としていた。 「同族を殺した気分」「良い顔付き」 が殺しを嫌がっているのを知ってやらせている。 そしてそれを楽しんでいるのだ。 背中に烙印を押された奴隷たちはもはや人間ではない。 天竜人の道具と化し、ただの戯れに命を翻弄される。 は悪魔の実の能力者としての価値を見出され買われた。 その物珍しさと、暗殺の便利さに重宝され、まだ命の補償はある。 ただし、他の奴隷よりはというだけだ。 地下につくと、はまた牢屋に入れられた。 男が去ってから、おねえちゃんがをぎゅっと抱きしめてくれた。 「ごめんね、、ごめんね。嫌だったね。怖かったね。」 そう言いながら、何度も何度も背中をさすった。 はそのやさしいぬくもりに、すがった。 そしてまた、少し涙を流した。 誰かを殺して生きる今に 天竜人の手のひらの上で転がされる人生に どんな価値があると言うのだろう。 そう思いながら。 * >next <あとがき> ワンピ夢に手を出してしまいました。今のままではほぼオリジナルですが、もう少しで赤髪の船に出会う予定です。それまでは、この鬱鬱とした雰囲気をがんばって作っていこうと思います。ゲスを書くのは難しですね。主人公を殴ったりけったりするっていうのも難しい。これから逞しく成長してくれるでしょう。 |