『口撃的な男』



黒の教団の本部。
そり立った崖の上にそびえ立つ高い塔。
その中にある広間は、千年伯爵、そしてAKUMAとの戦争が始まって以来、戦没者たちの棺が並べられ、皆が死んだ仲間と別れの時を過ごす場所となった。

一人、十人、百人。

数に差はあれど、広間に棺が並ばない日はなかった。
誰もがゼロになることを願っていても。

アレンは任務から帰還し、時間があれば時折この広間を訪れた。
時には静かに死者を想い、時にはエクソシストは何をしているんだと罵られた。

無理して行かなくてもいいのにと言われたこともある。
でもどうしても足が向かう時がある。

はっきりとした理由は自分にもわからない。仲間の死を悼む気持ちももちろんあるのだろうけれど、たぶん、エクソシストとして現実を直視しなくてはいけないと思う時なのだろう。

現実から目を反らすな、と。
歩みを止めるな、と。

アレンが広間に足を踏み入れると、五つの棺が目に入った。
おそらくすべてファインダーのものだろう。
同じ部隊だった隊員が数人いた。
涙を流す者、静かに佇む者、自らも怪我を負っている者もいた。

似た光景を何度見ても、胸の痛みに慣れることはない。
アレンは目を閉じ、黙とうをささげた。


「おい!」


広間に怒号が響き渡った。
アレンが思わず目を開けると、白衣の男が怪我をしていた隊員へと足早に近づいているところだった。

「病室を抜け出して何してる。患者は患者らしくしてろ。戻れ。」

アジア系の顔立ちの男は、ファインダーに向かってそう言い放つと、持ってきた車イスに無理やり乗せた。

「ちょ、ちょっと待ってくれよ!いいじゃねぇか!少しくらい!」

無理やり連れて行かれそうになって、彼はじたばたと暴れた。

教団では、遺体は火葬するのが規則。
顔を見て別れを告げられるのはこの時が最後だった。
だからファインダーも必死になって抵抗するのだ。

アレンはファインダーに同情し、つい口を挟んでしまった。

「まぁまぁ、いいじゃないですか、少しくらい。」

ね?と、苦笑いを浮かべ、仲裁に入った。

「誰だ、お前。へらへらしやがって。」

その男はアーモンド型のきりりとした目でアレンを睨みつけた。
ツカツカと歩み寄ると、上から下までアレンを見た。

「へらへらっ……!彼はそんなにひどい怪我ではないようですし、友人との最後の別れくらいゆっくりさせてあげたらいいじゃないですか。」

「そんなことか。」

「そんなことって……!」

「どうでもいいだろ、そんなこと。いいか、エクソシスト。エクソシストにエクソシストの仕事があるように、医療班には医療班の仕事がある。部外者は口出しするな。」

そう言って身を翻し、車イスを押して行ってしまった。
急に立ち止まったかと思うと、くるりとこちらを見て言い放った。


「もやしヤロー。」


アレンは呆気にとられた。
突然の理不尽な口撃に何も言えず、ただ金魚のように口をぱくぱくとさせることしかできなかった。

その男はさっさとまた車イスを押して行ってしまった。

アレンは口を挟んだ事を後悔した。

「な、なんだアレ?!」

残されたアレンは、一人、怒りに肩を震わせていた。

「どうした?アレン。」

書類の山を抱えたリーバーが通りかかった。
アレンはさっきの事の顛末を話した。

「医療班でアジア系で性格キツイやつ…ね。」

「初対面で、もやしって!神田みたいに!」

「そういえばアイツもジャパニーズだったな。」

「ご存じなんですか?あの人。」

「あー、うん。まぁ。」

「まぁって、なんですか、それ。しっかし、ジャパニーズは皆ああなんですかね!神田といい、彼といい!」

「あいつはなぁ……、許してやってよ。な?」

リーバーは苦笑いのような、同情のような表情を浮かべた。
ポンポンと慰めるように肩を叩いて、行ってしまった。
アレンの怒りは行き場をなくしてしまった。





明くる日、アレンは鍛練を終え、化学班室に顔を出した。

寝る暇もなく働く化学班の人たちの手伝いを出来たらと思ったのと、今の状況についても何か新しい事でも知ることができればと思った。

部屋をのぞくと、そこは地獄絵図のようだった。
目の下のくま、ぼさぼさの頭、積み上げられた書類、終わらない調査。
もう声にもならない阿鼻叫喚が聞こえてきそうだ。

アレンが知っている顔を探そうと部屋の中をうろついた。
こんもりと書類が積まれた机の横を通った時、ガシっと何かに腕を掴まれた。

「ひぃぃぃ?!」

アレンはお化けにでもあったような悲鳴を上げた。

もぞり。書類の雪崩からにょきっと腕が生えている。

「ア、アレン…。」

「リーバーさん?!」

アレンは急いで雪崩からリーバーを掘り出した。

「さんきゅ。んで、なんか用だったか?」

「いえ。何かお手伝いできればと思いまして。」

「おぉ!本当か?!じゃあさっそく頼むぞ!」

リーバーはアレンの両手をとり、ひとしきり感激した後、書類を手渡した。

「これをどうすれば?」

「地下の研究室6に届けてきてくれ。俺からって言えばわかるから。」

「わかりました。ではいってきます。」

アレンはくるりと踵を返して部屋を出て行った。

「アイツをよろしくな、アレン。」

リーバーは閉じられた扉に向かってつぶやいた。





教団本部のこの塔の雰囲気そのままに、地下もいかにもな雰囲気だった。
石でできた壁と廊下。
所々にともされた灯り。
薄暗く、終わりが見えない廊下。

「地下にこんな場所があったなんて…。」

カツン、コツンとアレンが歩く音がよく響いた。

程なくして『研究室6』を見つけた。
廊下の雰囲気とは打って変わって、とても無機質でシンプルな白い扉だった。

コン、コン、コン

「失礼しまーす……」

扉を少しずつあけて、用心深く中を覗いた。
中では5、6人の白衣や手術着を着た医療班の班員が作業に追われていた。いくつものひょろ長い大きな袋が運び込まれていた。

「うっ……」

アレンは顔をしかめ、臭いに口元を覆った。
漂う異様な臭いに、この場所がどういうところかを察した。
壁には大きな鉄の戸棚があった。小さな扉がいくつもついている。
ちょうど、人が寝て入れるほどの大きさの扉。

ここは検死室だ。

「その遺体は俺が担当する!速く、正確にやれよ!」

奥から大きな声が聞こえてきた。

「あー!この前のっ!」

アレンは思わず叫んだ。
指示を出していた男は、先日初対面のアレンに『もやしヤロー』と言い放った男だった。

医療班はこんな仕事もするのか……。
この人がいると知っていたら来なかったのに!

すすり泣く声が聞こえ、アレンはそちらを見た。
アレンから近い所で作業をしていた班員が肩を震わせていた。

「くそっ…、どうして……ひっ、う…こんなにっ……」

惨い死体に、毎日運ばれてくる遺体に、涙を流さずにはいられなかったのだろう。

彼は作業台の上に横たわる遺体を前に、ぼろぼろと涙を流していた。
それを見た他の人たちも、落ち込んでしまっていた。

「何をしている。」

しんと静まった部屋に、冷たい声が響いた。
あの男だった。

「泣いてるやつは出て行け。使えないやつは出て行け!」

そう言ってまた作業に没頭していた。

「す、すみません……。」

泣いていた班員はおずおずと部屋から出て行った。
アレンはその後ろ姿を見、平然と作業を続ける男に怒りを覚えた。

「この前といい、今日といい、言い方ってものがあるんじゃないですか。」

男はようやく顔を上げた。

「お前、何しに来たんだ。わざわざ邪魔しに来たのか。可哀そうだとでも言うのか。今はそんな暇はないんだよ!邪魔だ!お前も出ていけ!」

そう一気に捲し立てた。
そしてまたこう言った。

「もやしヤロー。」

アレンは頭に血が上った。
ツカツカと男に歩み寄り、文句をぶちまける。

「あなたねぇ!こっちが黙ってれば…っ」

近寄ったアレンに男がメスを向けた。
鋭い刃をアレンの目の前につきだした。

「帰れ。もやし。」

「わ、わかりましたよ。帰ればいいんでしょ!帰りますよ!」

アレンは怒りを鎮められず、大股でズンズン歩いて化学班室に戻って行った。





「りぃーばぁーさん!!」

怒り狂う般若のような顔をして、アレンはリーバーに迫った。

「ア、アレン……?どうしたのかなー?はは。」

リーバーは目を反らし、ひきつった笑いを浮かべていた。

「彼がいると知っていたら行きませんでしたよ!わざとですよね?!」

まぁまぁとアレンを諌め、リーバーは理由を話し始めた。

「彼ね、誤解されやすいんだ。っていうかたぶんわざとやってるんだろうけど。」

他人に厳しく。自分にはもっと厳しく。
仲間が死んで悲しいのは皆同じだ。しかし悲しみに暮れている時間はない。
遺体を調べ、AKUMAについてわかったことを現場のエクソシストやファインダーに伝える。それは医療班の仕事でもある。
速ければ速いほど。正確であればあるほど、その分戦いやすくなる。そして犠牲者も減る。

「彼みたいな人が必要なこともある。彼は進んでそれを演じてるんだよ。」

まぁ、言葉はちょっときついけどね。
そういってリーバーはまた苦笑いをした。

「その理屈は、……わかりました。でも何で僕を行かせたんです?」

「彼のね……味方を作ってあげたかったんだ。」

「味方、ですか。」

「そ。言ったでしょ?誤解されやすいんだ。」






書類を渡さずに帰ってきてしまったため、ちゃんとお使いできなかった罰と言われ、へろへろになるまで雑用係をさせられた。

「アレン!お疲れ!いやー助かったよ。」

「は、はは。そうですか……。」

もしかしたら鍛練より疲れたかもしれない。
やっと一息ついて、コーヒーをごちそうになった。

「さてアレン。最後のお仕事だ。」

そういってリーバーはどこかに電話をかけた。
アレンはまだあるのかとうんざりとした顔をした。

「んじゃ、もう一回行って来て!」

そういって手渡されたのは、あの書類だった。






アレンは重い足取りで地下の研究室に向かっていた。

彼のことはなんとなくわかった。
暴言の理由も、行動の意味も。
自分の考えが甘かったのも。
自分にも否があったとは思うが、彼の言い方も良くないと思う。

複雑な心境で扉を叩いた。

部屋に入って見渡すも、人影がなかった。
検死はすでに終わったようで、部屋は綺麗に片づけられていた。

「うっ……く…、ヒッ…」

どこからか泣き声と鼻をすする音が聞こえてきた。

ま、まさか……!ゆうれい!
アレンは違うと言い聞かせながら、声の主を探した。

「あのー……」

「ぐず……リーバー、か?……ぅ、ひぅ…悪い、な……」

声の主は検死台の陰から立ちあがった。

あ……

お互いに止まってしまった。

「くそ…、なんだよ。何しに来た。」
彼は急いで涙をぬぐいながら言った。

「これ、さっき渡しそびれたんで。」

そういってアレンは書類を手渡した。
これで頼まれたことは終わり。
さっさと帰ることもできたが、アレンは口を開いた。

「さっきは、邪魔してすみませんでした。」

「え……?あ、あぁ、うん。」

彼はアレンから飛び出た意外な言葉に不意を突かれたようだった。

「でも、あの言い方は良くないと思うんです。」

「……そうかもな。でもあの時はああ言うしかなかった。優しく慰めたところでどうなる。検死は急務だ。ぐずぐずしている暇はない。お前らエクソシストやファインダーにみすみす死なれないためにもな。」

アレンは黙って彼の言葉を聞いていた。

「現場と違って、ここでは安全に仕事ができる。だからって、のんびりしてるやつは必要ない。そうだろ?」

彼の言う事は正論かもしれない。
正論すぎて、自分も他人も少しずつ傷つけている気がした。

「いつもさっきみたいに後で泣いてるんですか?」

「いつもじゃない。時々だ。それに言ったことを後悔してるんじゃない。やるせないんだ。がんばってもがんばっても、人が死ぬ。」

「あなた、本当に損な役回りですね。」

「まぁな……。でも誰かがやらなきゃ。」

そういって彼は苦笑した。






「じゃあ、帰ります。」

アレンはドアノブに手をかけた。

「死ぬなよ。もやし。」

「アレン、です。」

「ふん…。アレン、お前がここに運ばれてきたら、細切れにして鳥の餌にしてやる。」

「あなたこそ。その口治さないと、そのうち誰かに刺されますよ?」

互いにニヤリと笑った。